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上・網が絡った鯨に銛をうつ[「生月御崎沖背美鯨一金守二金守突印立図」]
下・鯨を剣で突く[「生月御崎沖座頭子持鯨剣切図」上下『勇魚取絵詞』島の館寄託資料]

 

て持って帰るわけですね。
中園…ええ、加部島の人たちは、お金で給料を貰うよりも、肉で貰ったほうがありがたかったという話です。
谷川…今から五〜六年前、小川島に行き山見の場所まで上ってみましたが、小屋が残っていました。ちょうど小屋の横の羽目板一枚分が海のほうに開けてある。なぜ、そうなっているかというと、案内の人の話では、茫漠たる大海原を見ていても目がちらつくだけで、集中しやすくするためだそうです。これは昭和の初めの頃の話であったようですね。
中園…今でも、小川島周辺は山見をした経験のある方が二〜三人ほどおられて、そういう方々の話を伺うと、一日中、それこそお尻から泡が出るほど座ってなければならない。ご飯の間も目を海から離してはいけない。また夜、宿舎に帰っても、酒を飲んだり夜更かしをしたりして、次の日の仕事に差し支えるようなことは絶対やってはいけないなど、かなり厳しい仕事だったのですが、それでも鯨が捕れた場合には、歩合制でお金や鯨肉をもらい、割りが非常に良かったということでした。

 

◎伝統漁法を伝えた小さき漁師たち◎

谷川…私が、なぜ小川島辺りに関心を持ったかを話します。小川島の北西に、加唐島(かからじま)という島があって、百済の国王の武寧王がそこで生まれたという伝承を持っている。これは『日本書紀』に書かれていますが、加唐島という島に生まれたから島王と言ったというのです。先年、百済の公州の近くの宋山里で、武寧王の墓が発見され墓誌が出てきたのです。それには百済斯麻王と書いてあるのです。没年も『日本書紀』とほとんど一年くらいしか違わない。事実を踏まえたのではないかと思いました。そうすれば朝

 

 

 

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